広島女学院大学の歩み

広島女学院は、2016年10月1日創立130周年を迎えます(大学開設67周年)

広島女学院大学校章

広島女学院大学校章

本学の校章は「信仰の楯」をあらわし、世の悪と戦い、強く生きることをしめしています。中央のラテン語(CUM DEO LABORAMUS)は、学院の標語「我らは神とともに働く者なり」を意味し、その下の校花アヤメは優雅と清純を象徴しています。

広島女学院、129年の歩み

  • 1886(明治19年) 10月、砂本貞吉が米国南メソジスト教会の協力を得て広島女学会を開く。
  • 1889(明治22年) 9月、ケンタッキー州出身のN.B.ゲーンスが初代校長に就任。 N.B.ゲーンス
    N.B.ゲーンス
  • 1892(明治25年) 新校舎落成。市内で唯一の洋風建築として評判となる。幼稚園開設。
    翌年、附属小学校を設置し、予科・本科・高等普通科の一貫教育体制となる。
  • 1895(明治28年) 4月、保姆養成科発足。
  • 1908(明治41年) 5月、保姆養成科を保姆師範科と改称。
  • 1920(大正9年) 専門部(英文科・家事科・師範科)を設置。
  • 1921(大正10年) 3月、保姆師範科がランバス女学院(当時)に移る。
  • 1932(昭和7年) 2月、専門部が広島女学院専門学校として認可され、財団法人広島女学院と改称。
  • 1944(昭和19年) 学制変更により英文科・家庭科を閉鎖し、経済科・保健科・被服科を設置。翌年、原爆のため教職員・学生・生徒三百余名の犠牲者を出す。校舎一切も失う。
  • 1946(昭和21年) 牛田校地に仮校舎を建て専門学校を移す。経済科を廃し、英語科を復活。
  • 1949(昭和24年) 4月、英文科が広島女学院大学英文学部英文学科として認可され開学。翌年4月には家事科・被服科が広島女学院大学短期大学部家政科として認可され開学。
  • 1951(昭和26年) 学校法人広島女学院となる。
  • 1960(昭和35年) 大学本館落成。学院事務局が牛田校地に移る。
  • 1966(昭和41年) 4月、短期大学部家政科を家政科家政専攻と家政科食物専攻とに分離。翌年4月には大学英文学部が文学部(日本文学科と英米文学科)へ改組。
  • 1981(昭和56年) 4月、短期大学部家政科に生活文化専攻課程を増設。家政・食物・生活文化の三専攻課程を実施。
  • 1993(平成5年) 4月、生活科学部開設。文学部と2学部となる。
  • 1995(平成7年) 4月、大学院言語文化研究科修士課程(日本言語文化専攻・英米言語文化専攻)開設。
  • 1997(平成9年) 4月、大学院言語文化研究科博士課程(日本言語文化専攻・英米言語文化専攻)開設。
  • 1999(平成11年) 4月、大学院人間生活学研究科修士課程(生活文化学専攻・生活科学専攻)開設。
  • 2000(平成12年) 4月、文学部人間・社会文化学科開設。
  • 2004(平成16年) 4月、生活科学部生活文化学科と生活科学科(食物栄養専攻・生活環境専攻)が生活科学部生活デザイン・情報学科と管理栄養学科へ改組。
  • 2007(平成19年) 4月、文学部幼児教育心理学科開設。(人間・社会文化学科募集停止)
  • 2012(平成24年) 4月、文学部日本語日本文学科・英米言語文化学科・幼児教育心理学科、生活科学部生活デザイン情報学科・管理栄養学科が、国際教養学部国際教養学科、人間生活学部生活デザイン建築学科・管理栄養学科・幼児教育心理学科へ改組。

キリスト教精神に支えられた129年の歴史。

ゲーンス先生と生徒のオーケストラ(1927年)

ゲーンス先生と生徒のオーケストラ(1927年)

広島女学院大学の前身、広島女学会が誕生したのは明治19年。いまから約120年前のことです。創立者の砂本貞吉は敬虔なキリスト教信者で、米国の南メソジスト教会の協力のもと、宣教師N.B.ゲーンスを校長として招きました。以来、本学は「キリスト教主義による人間教育」を建学の精神に掲げ、キリスト教精神に基づいた平和主義、人間愛を伝える教育を実践しています。

関西学院大学等と姉妹校協定を締結。

関西学院大学

関西学院大学

本学の創設に大きな影響を与えた米国南メソジスト教会。1800年代末、この教会の代表として来日したのが、ジェームズ.W.ランバス夫妻と息子のウォルター.R.ランバスです。彼らは神戸を拠点に伝道活動や教育事業、社会事業を展開しました。彼らの活動の影響により誕生した学校は、本学のほかに関西学院、啓明学院などがあり、1998年には各校がランバス関係姉妹校として協定を締結しています。また、2008年度、関西学院大学への国内留学規程が制定されました。