ごあいさつ―広島女学院大学のみなさんへ―  

 

「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないだよ」(サン・テグジュペリ作・内藤濯訳「星の王子さま」より・キツネのセリフ)

 

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(新約聖書・コリントの信徒への手紙ニ418節)


 みなさんは「風」を見たことがありますか?たぶん「風」そのものが見えるという人はいないでしょう。しかし、風が木々をゆらす様子を見たり、その音を聞くことはできます。それと似て、わたしたちの「いのち」は目に見える現象=生物学的肉体として存在するだけではなく、その内側にあるものに突き動かされていることを聖書は教えています。
私たちは普段の生活の多くの場面で、目に見え手で触れることができるもの=計量・換算・比較できる価値を中心に考え・判断し・行動します。しかし私たちの「いのち」の本質は、計量・換算・比較できるものではなく、むしろそれを超えたところにあるのです。
もちろん、「目に見える価値」が不要だとか下等だとかいうのではありません。それなしに私たちは生活を営むことができませんし、その意味で「目に見える価値」は相応に重要です。問題は私たちが普段、目に見えるわかりやすい価値を気にすることに比べて、「目に見えない価値」に注意を払うことがあまりにも少ないところにあるのです。
「目に見える価値」=計量・換算・比較できる価値にとらわれることは、私たちが常に他者との背比べを強いられることにつながっていきます。不適切に思い上がって他者を見下したり、不必要に落ち込んで自分を責めたり、そんなことを私たちはしばしば繰り返していないでしょうか。
私たちの大学は「目に見えない価値」を大切にする大学です。そして、そのための手引きを聖書・キリスト教に求める大学です。このことは皆さんにキリスト教への入信を勧めたり、ましてや強制することを意味しません。むしろ、キリスト教的価値観との対話を通して、あなた自身の価値観・ものの見方が養われていくことを、私たちは望み、お手伝いしたいと願っているのです。
                                                  チャプレン 澤村雅史